あしあと

​幼い頃から

なんで生まれてきたのか。

空を眺めながら、そんなことばかり考えて生きてきました

空と石と精神の世界が好きで変わっていたと思います

物心つく前からサッカーと出会い

ただひたすらにボールを追いかける日々が始まりました

今思うと、サッカーが自分のバランスをとってくれていたと思います

気がつけば小、中、高とあっとゆうまに過ぎていきました

いつもサッカーと共にでした

歳をとるごとに人間関係や将来、たくさんのことを知り、社会を色濃く感じる中で

空を見上げる数は減っていきました、けどその心を無視することはできずもモヤモヤの学生時代でした

19歳の冬に自分の大きな転機が訪れました

サッカーにも将来にも逃げていたある日でした

母から一冊の本が送られてきました

(高校生から寮生活でした)

本のタイトルは「みんな誰もが神様だった」

なんとも怪しげなタイトルですが、自分にはスッと入ってくるタイトルでした。

書いてある内容がある意味で衝撃的でした

自分が幼い頃感じていたことがわかりやすく書いてあったからです。

まさに、答え合わせをしているような感覚でした。

こうやって生きていいんだ、ありのままで正直に生きようと心に決めた日になりました

その日から自分との向き合い方、サッカーとの向き合い方が変わっていきました

より正直に、ありのままを表現しようと。

今までの自分は他人を一番に生きてきました。それが良いことと思っていたからです。

そして不思議と相手が何をして欲しいのか、何を求めているのかが、なんとなく感じることができていたからです。

自分の思っていること

第一に感じたこと

ワクワクすること

意識の使い方

自分が主人公になる生き方がスタートしました

一月後、自分はフランスの地に立っていました

自分の一番に行動する生活の中で数々の導きを受け取り

フランスでサッカーすることが決まったのでした

自分にとって夢のような体験であり経験でした

そして自分を生きることは自分の世界を大きく広げていくことだと確信に変わった

そんな2020年4月フランスの空港で感じたことでした

だが自分のこれまでの価値観をより変えていく体験がその先に待っていることは

その時の自分には知る由もありませんでした

それはフランス生活が始まり間も無くのことでした

自分のきっかけになった本の著者の方にどうしても会いたくなり

気持ちに収まりがつかなくなった時がありました

今はフランスにいて会えるはずがない状況でしたが

なぜか会える確信がありました

(ここでは詳しくは書きませんが意識の話です)

その確信を持って過ごしていたある日のこと

母から電話があり話を聞くと、その著者の方がフランスに来ることがわかりました

しかも自分の住んでいるところから近くの教会に寄ることもわかりました

うれしくて飛び上がりました!夢がまた叶ったのです。

ですが会える日が練習とかぶっていました。ですが大丈夫、と確信を持ってその日を待つことにしました。

当日の朝、練習がなくなったと連絡がありました。

自分の導きを信頼していたので驚くことはありませんでした。

これは間違いなく会うやつだと知っていたからです。

著者の方に全く連絡もしていないので何時に来るかは定かではなかったですが

リトリートで来る情報は入っていたので早めに現地に行き待っていました

そして待つこと一時間後、お会いすることができました

著者の方は並木良和さんというスピリチュアルカウンセラーです。

スピリチュアルと聞くとなんだか怪しく聞こえがちですが

自分が本を読んで一番共感したのは摩訶不思議な話ではなく

「ありのままで生きよう。それが本来の生き方なんだから

こんなシンプルなことでした

スピリチュアルは本質という意味です

本質は「生きること」

自分を大切に生きる。自分があの本で一番響いたことでした。

もちろん意識の話や摩訶不思議な話もありますが、自分には普通な感覚なのでよくわかりません。

幼い頃からいろんな耐性があったのかなと思います笑。

話を戻しまして、時間は短く何を話したか今では覚えていませんが

自分にとってこの生き方を通そうと確信になった時でした

それは目には見えないものを当たり前にして生きていくそんな意味もあります

自分の人生の中で大きな分岐点になりました

その日からより見えない世界を知り、体験し、落とし込むそんなフランス生活が始まりました

もちろんどこかにこもって1日瞑想とかではなく

日々生活の中で自分の感覚を信頼し、創造し、感謝し楽しむ。

生きることに一生懸命でした

そんな中である韓国人のphotographerと出会い

元々好きだったカメラにのめり込むきっかけになりました

フランス生活はサッカー、カメラ、日々を生きること

まとめるとこんな感じでした

もちろんプロサッカー選手になるために行ったわけですから

日々トレーニングを欠かさずに帰国までの時間を大切に過ごしました

12月16日に日本でプロテストがあったので12月13日に帰った気がします。

フランスでの時間はとても濃く自分の人生観を変えてくれました

日本につき家に帰宅してからすぐに今までお世話になった学校でトレーニングをし

コンディションを整えていたそんな時でした。

頭痛が止まらなくなり熱を測ると39度の熱がありました

12月にこの熱の高さ。。インフルだと確信しました

(2020年12月。コロナが出る前でした)

プロテスト二日前の出来事でした。

なんで今と恨みたくなりましたが、自分を信じて生きる。

最後の最後まで諦めない。その気持ちだけは疑わずにテスト会場に前乗りしました。

1日安静に直ることだけをイメージして前日を過ごし、当日の朝。

37度まで熱は下がり、体調も動けるまで回復していました

これなら大丈夫と確信して会場入りしました

テストの説明を聞き(4本試合するのみでした)

テスト開始直前、アップしても問題なし。

大丈夫だと思い始まった一本目、激痛と立ちくらみが襲い

その一本のみで途中棄権することになりました

周りから言われたのではなく、自分の判断でした。

この一年をかけて挑んだ結果に絶望感じるかと思いきや

大丈夫。

これが第一感覚であり、これ以上、以下もありませんでした

確かに多少は揺らぎはあったかもしれませんが、今覚えていないほどのもの。

あの時、大丈夫に勝る感覚がありませんでした

プロテストが終わり「年内中に合格者は連絡します」と言われ解散しました

結果は12月中には連絡が来ませんでした

けど、何を思ったのか「大丈夫。」この感覚が抜けませんでした

2021年になりまたフランスでサッカーをするのか、違う場所でサッカーをするのか

決めなければならなくなっていましたが、なんとなくまだきめないでいよう。そんな感覚がありました。

そんなある日

2月になり北海道に住むサッカー友人の元へ遊びに行っていた時のことでした

友人の部屋で話していると着信がありました

見ると海外からの未登録の番号。でてみるとプロテストを受けたチームのコーチからでした

内容は「一人空きができたから来てほしい」とのことでした。

その電話ではまだ他の候補者とも迷っていると、話が決まり次第連絡するとのことでした。

電話が終わり、その場で友人と放心状態でした。夢が叶う前日のことでした。

すぐに家に帰ることにして次の日に飛行機に乗りました

家族には確定してから連絡しようと決めていたので報告はしませんでした

飛行機に乗り、ずっと自分が夢を叶えているビジョンをイメージしていました

それは自分を生きることを決め、フランスに渡ってからずっと続けていたことでした

空港につき電波が回復した時、着信があることに気づきました

友人の家で着信がきた時と同じ番号でした

空港の出口ゲートを出て近くのコインのロッカーの隅、自分が幼い頃からの夢を叶えた場所になりました

生きてきた中で味わったことのない感覚でした

喜びと幸せと感謝と。なんだかよくわかりませんでした。

すぐに一番伝えたい人達へ連絡しました

ずっと応援してくれた家族でした

何を話したかは覚えていませんが、喜んでくれていました本当に幸せでした。

その日以降、出発日までの時間は自分が今まで感じたことのない体験となりました

家に戻り、泣いて喜んでくれている姿

友人たちの笑顔

一瞬一瞬がより幸せで感謝でした

自分の大好きなことで人が笑顔になるってこんなに幸せなことなんだと噛み締めた体験でした

そして出発当日、

最後の確認書類を所属していた高校へ渡しにいく事になっていたので

母と向かい、渡し終わった直後のことでした。

心がとてもモヤモヤしざわつきを感じました

その予感をその時は「まーいっか」で済ませる事にしました

この「まーいっか」がその後の出来事で大きく後悔する事になりました。

フランスでお世話になった方が高校の近くに住んでいたのでお礼も兼ねて昼食を一緒にとっていた時のことです

着信がきて、確認するとチームの監督さんからでした

内容は「大切な書類を適当に扱うなとのことでした」

あの、「まーいっか」には訳がありました

自分は少し変わった高校にいたので2つの学校に通っていました

一つは家から一時間かかる学校

もう一つは家から二時間かかる学校でした

その確認の書類は断言はされませんでしたがなんとなく遠くの方の学校だとわかっていました

ですが思考で「今日この後予定もあるし、Faxもある。同じ高校だから」と理由をつけて近い方の学校へ書類を渡した結果でした

その場でとても後悔しました、ズレてたなと。

電話の内容はその注意で終わり、自分はみんながいる場へと戻りました

30分ほど経ち、フランスの思い出話で盛り上がっている時のことでした

また監督さんからの着信でした。

出ると、一言。「契約できなくなった、すまない」

??。頭が真っ白になったが冷静に状況は理解できた。

今になって不思議に思うが、あの時何も聞くことができずに「わかりました」とそれを受け入れた。

契約できなくなった理由はあげれば色々とあるかもしれない

確かに自分には契約に少し難しい要素や条件があった

急遽決まった中で出発と同時並行で契約の手続きをしていた

けど頭の中に「まーいっか」の一言が残っていた

そして「サッカーはここでおしまい」と直感で感じた

みんなの元に戻り、その場では言えずに、別れたあと車の中で母に伝えた

空港に着いている時間に家の布団の中にいた

不思議だなと冷静な自分と悲しくて胸が張り裂けそうな自分、どうしていいかわからず

ただ、家族に励ませれ、出発日を終えた

サッカー人生に区切りをつけた日だった

その後、帯状疱疹がでて鬱を経験する

2020年3月春の始まりと共に自分にとって初めて「サッカーのない自分」で生きる年となった

続く

ご視聴ありがとうございました!

だいぶショートカットでありますが、自分の足跡を書かせて頂きました。

2020年3月から2022年「今」までは次のページに書きます

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